簡(jiǎn)介:
小檔案
生、やぎ座、身長(zhǎng)172cm。ボーカル&ギター擔(dān)當(dāng)、O型、既婚、前橋工科大學(xué)卒業(yè)。最初にギターでコピーしたのは、中2の時(shí)でBUCK-TICK。初めて友達(dá)とセッションしたのはユニコーン。
現(xiàn)在はシングルのタイトル曲のほとんどの作詞作曲を擔(dān)當(dāng)。最近、ライブで 更多>
小檔案
1980年1月12日生、やぎ座、身長(zhǎng)172cm。ボーカル&ギター擔(dān)當(dāng)、O型、既婚、前橋工科大學(xué)卒業(yè)。最初にギターでコピーしたのは、中2の時(shí)でBUCK-TICK。初めて友達(dá)とセッションしたのはユニコーン。
現(xiàn)在はシングルのタイトル曲のほとんどの作詞作曲を擔(dān)當(dāng)。最近、ライブで高校時(shí)代に購(gòu)入したレスポール(ピックアップをP-94に変更)を使用するようになった。永遠(yuǎn)のスターは元THE YELLOW MONKEYの吉井和哉である。
いちばん落ち著く時(shí)間は「吉田拓郎の曲を聴いてる時(shí)」と答え、顔にある頬の傷は、昔犬に噛まれてできたという[1]。
[編集] 前田啓介(まえだ けいすけ)
1979年9月11日生、乙女座、身長(zhǎng)168cm。ベース&コーラス擔(dān)當(dāng)、A型、既婚。一部楽曲の作曲も擔(dān)當(dāng)。プロ和太鼓奏者の兄、前田タクヤがいる。
高校を中退後、上京。その後イギリスに滯在していた。レミオロメン結(jié)成前はスタジオミュージシャンだった。レミオロメン以外の活動(dòng)ではフライングキッズのバック演奏やチャリティーCD『友情のエール』、スキマスイッチの『糸ノ意図』(3rd Album『夕風(fēng)ブレンド』収録)への參加などがある。
サッカーと剣道をしていた。サッカーでは中學(xué)時(shí)代藤巻と同チームで県3位にもなった。
[編集] 神宮司治(じんぐうじ おさむ)
1980年3月5日生、魚座、身長(zhǎng)174cm。ドラム&コーラス擔(dān)當(dāng)、A型、未婚。兄の影響でドラムを始める。あだ名は『オサ』『パッキャマラド(ラジオにより決定)』。
大學(xué)を中退後看護(hù)學(xué)校に通うが、バンド活動(dòng)の為に中退する。
グループで1ヶ月の休みをもらった時(shí)に、自ら手続きをして、オーストラリアのパースへのホームステイ経験がある。
メンバー內(nèi)で唯一他のメンバー両方を「くん」付けで呼ぶ。なお、藤巻はそれぞれ「啓介」「治」、前田は藤巻を「亮太くん」?神宮司を「治」と呼ぶ。
2007年5月にミュージックステーションに出演した際には、司會(huì)者のタモリから「ドラム叩いてる時(shí)米倉(cāng)涼子に似てる」と言われた。
大事件
3人とも山梨県笛吹市御坂町出身、小?中?高の同級(jí)生であるが、藤巻はいじめっ子、神宮司は地味、前田はうるさいグループに所屬していた。藤巻と神宮司の出會(huì)いは、小學(xué)生のとき、水道に並んでいた神宮司の前に藤巻が割り込んできて神宮司が文句を言うと藤巻が神宮司の腹を毆る、というシチュエーションが最初であった(本人談)。この事件に対して、NHK教育「トップランナー」で藤巻は神宮司に謝罪済み。
高校生(3人とも山梨県立石和高等學(xué)校に進(jìn)學(xué)。前田のみ中退)時(shí)代、3人はブラスバンド部に所屬し(藤巻がトロンボーン、前田と神宮司はパーカッション)、部として山梨県大會(huì)銀賞という成績(jī)を殘すが、文化祭などのためにすでに組んでいたレミオロメン(當(dāng)時(shí)のバンド名は「おさむさんバンド」)の活動(dòng)に専念するため退部。その後、進(jìn)學(xué)などにより一旦解散。
2000年
12月6日に、大學(xué)3年生の藤巻とスタジオミュージシャンだった前田で再結(jié)成。後に看護(hù)學(xué)校に在學(xué)していた神宮司が加入し、スリーピースに。すでに組んでいた藤巻と前田が神宮司を呼び出し、2人で作成した「大空」のデモテープを神宮司に聞かせ、「いいだろ?(ドラムを)叩きたかったら、叩いてもいいんだよ?」と誘った。
初ライブは前橋 Club FLEEZ(現(xiàn):高崎 Club FLEEZ)にて行われた。
2001年
本格的にライブ活動(dòng)を開始。下北沢のライブハウスと山梨を往復(fù)する日々が続いた。
2002年
3人の地元の神社の母屋(當(dāng)時(shí)空家だった)を格安で借り、リハーサルや楽曲製作(朝10時(shí)に集まり午前中練習(xí)をし、晝食を家で食べ、1時(shí)集合5時(shí)まで練習(xí))を行った。後に、この時(shí)期のことを「神社時(shí)代」と呼ぶようになった。神社時(shí)代で最初に作った曲は「まめ電球」
2003年
3月、ミニアルバム『フェスタ』でCDデビュー。
8月3日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2003」に初出演。メジャーデビュー前にも関わらず、最終日LAKE STAGEのトップバッターを務(wù)めた。
8月20日、シングル『電話』でメジャーデビュー。
2004年
3月9日、シングル『3月9日』リリースに伴い、3人の母校である山梨県御坂町(現(xiàn)笛吹市)立御坂中學(xué)校にて「3月9日御坂中學(xué)校體育館ライブ」を開催。この日は3人の共通の友人の結(jié)婚記念日(2003年3月9日)で、「3月9日」はそれを祝う曲である。PVにも結(jié)婚式のシーンが登場(chǎng)する。
2005年
3月9日、アルバム『ether[エーテル]』リリース。同日、日本武道館にて「3月9日武道館ライブ」を開催?!?月9日」がレミオロメンにとって重要な日になる。この日、彼らの母校である石和高校の教職員より、お祝いの花環(huán)が屆けられた。
10月に『蒼の世界』、11月に『粉雪』を2ヶ月連続リリース?!干nの世界」はCMソングに起用され、オリコン週間シングルチャート初登場(chǎng)2位を記録?!阜垩工螩X系ドラマ『1リットルの涙』に挿入歌として起用され、初登場(chǎng)4位を記録、新たなファン層を開拓した。その後も話題となり一時(shí)デイリーランキング1位?最高位2位も獲得し、自己最高のセールスを記録した。12月14日、『粉雪』が「著うた」100萬(wàn)ダウンロードを達(dá)成。同じく挿入歌として起用された『3月9日』も一時(shí)ランキングに返り咲いた。
この頃、草サッカーチーム「レミオF.C.」を結(jié)成。背番號(hào)は藤巻が8、前田が3、神宮司が7。
10月 - 12月に、神宮司はスペースシャワーTVで毎週水曜STUDIO GROWNのVJとして生放送番組を擔(dān)當(dāng)。インディーズ時(shí)代同じレーベルだったLOST IN TIMEの海北大輔とVJを組む?!荷nの世界』リリース日にはゲストとしてレミオロメンが登場(chǎng)。
2006年
3月、『太陽(yáng)の下』をリリース、初登場(chǎng)2位。「太陽(yáng)の下」は映畫『子ぎつねヘレン』の主題歌に起用された。
4月から、東京のFMラジオ局J-WAVEの番組「OH! MY RADIO」木曜日擔(dān)當(dāng)。
4月1日、山梨県立県民文化ホールの杮落としとして、ツアー「UNDER THE SUN」の追加公演を行った。
5月16日発売の『週刊女性』によって、藤巻と前田が既婚であることが報(bào)道された(藤巻は子供持ちである)。
5月17日、アルバム『HORIZON』を発売。オリコン週間アルバムチャート初登場(chǎng)1位を獲得。シングル?アルバム通じて初の1位獲得となり、初動(dòng)売上も『ether[エーテル]』の9.5萬(wàn)枚を大きく上回る32萬(wàn)枚を記録した。その後、3週連続で1位をキープした。
7月15日、「ap bank fes'06」に出演。
8月12日、「レミオロメン SUMMER LIVE “STAND BY ME”」を山梨県甲斐市の日本航空學(xué)園の滑走路にて開催。3萬(wàn)人を動(dòng)員したこのライブは「日本初の滑走路ライブ」として注目を浴びた。ライブを前に、7月30日には山梨放送 (YBSラジオ) で「OVER THE NEXT~レミオロメン その先の向こうへ~」と銘打たれた特番がオンエアされた。この番組は同年11月4日にも再放送された。オンエア內(nèi)では簡(jiǎn)単なラジオドラマの様なものもあった。インタビュー部分を抜粋して同局のポッドキャスティングで期間限定で8月31日まで配信されていた。ライブ直前の8月12日正午から同局で「レミオロメン SUMMER LIVE スペシャル~STAND BY ME」がライブ會(huì)場(chǎng)の特設(shè)ラジオブースから生放送された。當(dāng)日は雷雨で約50分遅れて開演したが、演奏を進(jìn)める毎に天候が回復(fù)した。この様子はフジテレビ721で生中継された[4]。
8月17日、神宮司のブログ「続?神宮司の司は寺じゃない」が再び休止。
9月29日、ラジオ番組「OH! MY RADIO木曜日レミオロメン」が終了。
11月1日、期間限定出荷の『Flash and Gleam』をリリース。8月に行われた滑走路ライブの音源CDと新曲「アイランド」を収録。初登場(chǎng)4位を記録。
11月4日 - 12月30日、レミオロメン初のアリーナツアー「TOUR 2006“ISLAND OVER THE HORIZON”」。
2007年
1月1日、「レミオロメン SUMMER LIVE ~STAND BY ME」が、BSフジにて2007年1月1日0:00より放送された。レミオロメンの楽曲『茜空』が使用されたJRAのCMが放送開始。
1月12日、レミオロメンの楽曲「パラダイム」がキットカットのCMソングとして放送開始。2月27日から、レコード會(huì)社直営サウンド(通稱レコ直?)のCMソングに『茜空』が使用される。一部分以外は本人たちがナレーションを務(wù)めている。3月5日、「キットカットCDパック」第4弾アーティストとして『パラダイム』を50萬(wàn)枚限定発売。
3月9日、桐朋女子高等學(xué)校の卒業(yè)式でサプライズライブを開催。「太陽(yáng)の下」「茜空」「3月9日」の3曲を披露した。
3月14日、LIVE DVD「“ISLAND OVER THE HORIZON”at YOKOHAMA ARENA」、シングル『茜空』(初登場(chǎng)3位を記録)を同時(shí)発売。
3月23日、東京?橫浜?名古屋?大阪にてLIVE DVD「“ISLAND OVER THE HORIZON”at YOKOHAMA ARENA」の上映會(huì)を開催。上映終了後、東京會(huì)場(chǎng)には藤巻が登場(chǎng)し、アコギで「茜空」を演奏した。
5月9日、初の両A面シングル『蛍/RUN』をリリース(初登場(chǎng)4位を記録)。FM802のキャンペーンソング『幸せのカタチ』も収録。
5月20日、「第68回オークス」の表彰式にプレゼンターとして參加。
7月16日、ap bank fes '07に藤巻のみ出演。アコギで「粉雪」を披露した。14日のLive actにバンドで出演する予定だったが臺(tái)風(fēng)で中止となり、出演は幻となった。藤巻は前日に小林に直接電話をかけて出演交渉をした。
8月5日、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2007」GRASS STAGEに出演。新曲「戀の予感から」を初披露した。
9月4日、恵比壽リキッドルームにてプレミアムライブ「レミオロメン×フロムエー」を開催。500組1,000人の募集に対して3萬(wàn)通を超す応募があった。
9月30日、新曲「リズム」が使われたJRAの新CMが放送開始。
10月28日、日比谷野外音楽堂にて「レミオロメンSPECIAL LIVE “Wonderful&Beautiful”」を開催。入場(chǎng)料無(wú)料のこのライブには3,000人の募集に対し、4萬(wàn)通(藤巻談。新聞?テレビでは「5萬(wàn)通」と報(bào)道。)の応募があった。このライブはCSフジテレビ721にて生中継され、新曲「Wonderful&Beautiful」を初披露した。
12月12日、「Wonderful&Beautiful」をリリース。
12月15日公開の陣內(nèi)孝則監(jiān)督作品『スマイル 聖夜の奇跡』にレミオロメンの楽曲「Wonderland」が主題歌として起用された。
2008年
1月9日、全國(guó)ツアー「Wonderful&Beautiful」がスタート。5月までに全國(guó)40公演を開催。
5月14日、LIVEDVD「TOUR 2008“Wonderful & Beautiful”」をリリース。
5月16日、「TOUR 2008“Wonderful & Beautiful”」~沖縄ナムラホールFINAL~がフジテレビ721とフジテレビCSHDにて2008年5月16日19:00より獨(dú)占生中継放送された。
コカ?コーラオリンピック応援ソングとして新曲「オーケストラ」が使用される。7月12日にお臺(tái)場(chǎng)冒険王で初披露した。
7月30日、両A面シングル「もっと遠(yuǎn)くへ/オーケストラ」をリリース。