簡(jiǎn)介:
小檔案
小嶋さちほ (こじま さちほ、 - ) - ベース、リーダー
後にボ?ガンボスのボーカル、どんとの夫人となる。
高橋佐代子 (たかはし さよこ、 - ) - ボーカル
『招き貓カゲキ団』では“高橋小夜子&rdquo 更多>
小檔案
小嶋さちほ (こじま さちほ、1958年12月26日 - ) - ベース、リーダー
後にボ?ガンボスのボーカル、どんとの夫人となる。
高橋佐代子 (たかはし さよこ、1964年10月10日 - ) - ボーカル
『招き貓カゲキ団』では“高橋小夜子”名義も有り 。後にSAYOKO名義でエイベックスからソロデビュー。現(xiàn)在は元JAGATARAのOTOらと結(jié)成したサヨコオトナラというバンドのボーカル。
鈴木洋子 (すずき ようこ) - ギター
石原富紀(jì)江 (いしはら ふきえ、1960年12月23日 - ) - ギター、法政大學(xué)卒業(yè)
本村直美 (もとむら なおみ) - ギター
野沢久仁子 (のざわ くにこ) - ドラム
通稱“マル”。
小澤亜子 (おざわ あこ、1963年2月16日 - ) - ドラム、日本女子大學(xué)理學(xué)部中退
一部で“小沢亜呼”名義も有り。
小簡(jiǎn)介
ZELDA(ゼルダ)は、1980年代から1990年代にかけて活躍していた日本のロックバンド。 メンバーが全員女性のガールズバンドの草分け的存在であった。女性グループとしてもっとも長(zhǎng)い活動(dòng)歴を持つことで、ギネスブックにも記載されている。
リーダーの小嶋さちほを中心に、音楽ジャンルも多彩にこなし、パンク、ポップス、ファンク、ブラックミュージック、そしてルーツミュージックと実験的なものを含め取り組み、次世代バンドに影響を與えた。
バンド名は、アメリカの小説家、F?スコット?フィッツジェラルドの妻の名前に因んでいるとのこと。
大事件
1979年、日本のガールズ?パンク?バンドの先駆けであったBOYS BOYSのベーシスト小嶋さちほを中心に結(jié)成。新宿ロフトで初ライブを行う。
1980年3月、小嶋が発行していたミニコミ「チェンジ2000」に出したメンバー募集に応募してきた高橋佐代子がボーカルとして加入する。當(dāng)時(shí)高橋は中學(xué)生であった。同年12月、インディーズ?レーベルのジャンク?コネクションより1st.シングル『ASHU-RA』をリリース。
1981年、ソノシート『ZELDA』をリリース。
メジャーデビューは1982年8月25日、日本フォノグラム(後のマーキュリー?ミュージックエンタテインメント?,F(xiàn)在はユニバーサルミュージックK.K.に吸収)よりアルバム『ZELDA』とシングル『ミラージュ?ラヴァー』を同時(shí)リリース。プロデュースはLIZARDのモモヨであった。なお、當(dāng)時(shí)のメンバーは小嶋、高橋と鈴木洋子(ギター)、野沢久仁子(ドラム)の四人。
1983年に、ギターが鈴木から石原富紀(jì)江、ドラムが野沢から小澤亜子に交替。石原はハードロック出身であるにも関わらず、テクニック面では「ヘタウマ」であったが、これが當(dāng)時(shí)のZELDAの雰囲気に適合した。また石原のハーモナイザーを使用した獨(dú)特のキラキラした音色と、インド音階を上手に組み合わせた中近東的なソロは、現(xiàn)在でも革新的である(ライブアルバム「Dancing Days」で堪能できる)。そしてジャパンのスティーヴ?ジャンセンを師と仰ぐ(雑誌「キーボードスペシャル」創(chuàng)刊號(hào)より)、小澤は、古今のロックバンドのドラマーには珍しく16ビートを基調(diào)とした端正かつタイトなドラミングであり、シーケンサーの操作やシンセサイザーの音色作りにも習(xí)熟していた。そして、ムーンライダーズの白井良明をプロデューサーに、ゲストに鈴木慶一を迎えて2nd.アルバム『CARNAVAL』をリリース。ZELDAはニューウェイヴバンドとして不動(dòng)の地位となった。
1984年には小嶋、高橋の二人が別ユニット『招き貓カゲキ団』としても活動(dòng)、同年9月、アルバム『第一歌曲集』をリリース。アコースティックの脫力系ユニットであり、聞き手に緊張を強(qiáng)いた當(dāng)時(shí)のZELDAとは正反対の音楽であった。
1985年に所屬レコード會(huì)社をCBSソニー(ソニー?ミュージックエンタテインメント)に移籍。前作同様、白井良明プロデュースの3rd.アルバム『空色帽子の日』をリリース。
1986年公開の映畫『ビリィ?ザ?キッドの新しい夜明け』に、メンバー全員が出演(バンド?ZELDAとして)。
1987年、元四人囃子の佐久間正英をプロデューサーに迎えて4th.アルバム『C-ROCK WORK』をリリース。
1988年頃より、小嶋がファンク/ブラックミュージックに傾倒。もともと16ビートを叩いていたドラムの小澤はすんなり対応できたが、8ビートのハードロック出身であり、「ヘタウマ」であった石原は適性を活かせないようであった。(ライヴではファンク特有の16ビートカッティングに苦渋する石原の姿が見られた)。それにより新たに生まれ変わったZELDAの5th.アルバム『SHOUT SISTER SHOUT』をリリース。
1989年、前作以上にファンク/ブラックミュージック色を強(qiáng)めた6th.アルバム『D.R.O.P.』をリリース。
1990年、ギターの石原が脫退。これより約1年間活動(dòng)を休止、この間に所屬レコード會(huì)社がavex系のレーベル、cutting edgeに移る。
1991年、ギタリストとして本村直美が加入。世界の各種音楽要素をギターにより表現(xiàn)できる本村の加入により、ZELDAはワールドミュージックを基調(diào)とした伸び伸びした音楽に一転した。
1992年、ジャマイカ録音の7th.アルバム『LOVE LIVE LIFE』をリリース。
1993年、プロデュースにサンセッツの井上ケン一、ゲストにスライ?ダンバー、イエローマン、オーガスタス?パブロなどを迎えたジャマイカ録音の8th.アルバム『FULLMOON PUJAH』をリリース。
1996年、SAYOKO(高橋)のソロ?アルバムや小嶋の沖縄生活などが反映された9th.アルバム『虹色のあわ』をリリースしたが、その後、解散を(活動(dòng)を継続しないことを)発表。